弓道の歴史

更新日:2017年11月17日
雑学

弓道

中学・高校の武道系の部活で名高い弓道、その後も魅力に取りつかれて大人になってもやり続ける方が多くいます。

凛としたイメージと洗練された武芸の一種として、格式高いと思う人も多く大人になって実際に始める人も多いスポーツです。

しかし、元々矢を射ることから、狩猟や戦で使用してきた弓道はどのようにして、現在の形になったのでしょうか?今回はその歴史と経緯に関して解説いたします。

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弓と矢は中国から伝来

弓と矢を使用して、獲物を取っている記載は石器時代末の銅鐸にその絵が描かれています。長弓を構えて、獲物を射る弓矢は遠くにいる獲物を得るためには、非常に効率の良い道具として伝来しました。中国の魏志倭人伝には、日本人が弓矢を使用していたという文献での記載もあります。

日本の文化で弓矢が、獲物を得るすなわち『生きるための道具』という意味合いが強くなると、神様に捧げる大切な神具として崇拝されるようになりました。このことは古事記にかかれている神道の神話が関係しています。現在でも、弓を鳴らすことによって、悪い気を祓う「鳴弦」が儀式化されているのはこうした意味合いがあります。

神社の境内に立派な弓矢が置かれ、正月に破魔矢が現在でも販売されているのはこうした名残が現在の文化として息づいているからです。

戦国時代は弓術と呼ばれていた

武士が時代として台頭をしてくると、弓矢を射ることを弓術と呼び、弓矢に秀でる者は特に重宝されました。平家合戦の那須与一がその代表であり、船に乗った平家が的に差し出した扇子までの距離は70メートル、波によって上下の揺れがあった中命中させたというのだから、ものすごい使い手ということがわかります。

また、馬に乗って矢を射る「流鏑馬」は鎌倉時代に発展し、敵に対して奇襲攻撃ができる方法として有力な武器になりました。

その後、織田信長が鉄砲を戦に用いるようになると、戦場での弓矢の役割は減少します。しかし、集中して的に射る一連の動作が心身を鍛える効果から、武道としての発展につながっていきます。

現在の弓道の原型ができたのは江戸時代

江戸時代になると弓術は弓道として発展していきます。今までは、短い時間で何本矢を射るか、遠くの的に矢を射る事が可能かと言ったことばかりがメインでした。 江戸時代の場合は、獲物を取るために矢を射ることや戦で勝つことが生活の全てではなくなったのです。武芸として、洗練された射形や美しさ、礼の美しさと言った物が重視されるようになりました。

この頃になると、礼を重んじる小笠原流、矢を射る本数を重視した日置流と言った武芸の流派が発展します。

また競技としての文化も発達し、京都の三十三間堂の間に矢を射る「三十三間堂通し矢」が行われ、人気を博しました。一定時間の間に何本三十三間堂の間で矢を通すことができる競技でこの競技のために改良された道具は現在の弓道でも使用されています。

弓道が一般に広まったのは明治・大正時代

今まで戦の一面が強かった弓術は、戦争への悪用の危険性があることから、GHQにより監視され、規制されていた時期がありました。しかし、弓道の持っている人間の心を鍛える面と洗練された美しさ、礼を重んじる良い意味を教育へ活かすため、一般人にも広がり愛好者が増えるようになったのです。

その普及のためにできたのが、現在一般的な弓道の本多流です。正面打ち起こしで有名な現在の流派はこの時期にできたものです。この流派が大流行し、現在の弓道のメインの射形になっています。現在の弓道はスポーツとしての的中率を競う、個人戦や団体戦がメインです。

しかし、弓道の格式高い礼や作法の完成度を活かす段位試験や神社での儀式で弓矢を使う場面で古来の弓術の技を見ることができます。

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