ミスターバスケットボール・佐古賢一が成し遂げた『広島発・オレンジムーブメント』の3年間

更新日:2017年6月12日
バスケ

ミスターバスケットボール・佐古賢一が広島の地に

初代チャンピオンに栃木ブレックスが輝き、一大ムーブメントを巻き起こした男子プロバスケットボールリーグ 『B.LEAGUE(ビーリーグ)』。国内を3地域に東・中・西地区に分け、1部に当たるB1は全15チームで 組織され、攻守交替の圧倒的なスピード感と、ダイナミックなプレーが、新たなファンを獲得しました。 地域に密着した運営基盤が功を奏し、地元の誇りとプライドがコートで共鳴しあうなど、大いなる可能性を 感じさせる初年度となりました。

B1の晴れ舞台の下には、サッカーでいうJ2リーグに相当する2部・B2が存在します。チーム数は、こちらも東・中と 西の3地域に分かれ、合計18球団。B1を目指した5月末の入替戦は、B1さながらの盛り上がりをみせたのです。

その入替戦の舞台に立ったのが広島をホームタウンとして、今季B2リーグを戦った『広島ドラゴンフライズ』。 ワイルドカード争いを制してコマを進めたものの、あと一歩で敗れ、B1昇格という悲願達成はなりませんでした。

試合終了のブザーからさかのぼること3年前。 カープ女子で赤く染まる街に「ミスターバスケットボール」と呼ばれる男の姿がありました。 初代HC(ヘッドコーチ)として招聘された佐古賢一(さこけんいち)です。

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アジアナンバーワン選手の『名刺とスーツ姿』

2015年、カープとサンフレッチェという『野球&サッカー熱』が支配する広島で、佐古賢一の挑戦が始まりました。 現役時代は、PG(ポイントガード)として、精密機械を思わせるパス、一瞬で相手を置き去りにするスピードを武器に いすゞ自動車リンクス、アイシン精機シーホース(現在のシーホース三河)などで活躍。オールジャパンとJBLとで (B.LEAGUE前身)それぞれ7回優勝を経験し、1998年には31年ぶりとなる世界選手権に出場するなど、まさに 栄光をほしいままにした伝説のプレーヤーです。

そんな佐古に託されたのは、当時3年後に迫った新リーグに向け誕生した『広島ドラゴンフライズ』初代HC。 とはいえそのミッションは、単にスーパープレーを伝授するということだけでなく、選手・スタッフを招集する チーム編成はもとより、強力な経営基盤を持たないチームへのスポンサー周り、営業・ロビー活動など、何足もの ワラジを履くような、HC以外の仕事までをもこなす事でした。

特に印象的だったのが、ニュースでも報道された新年に催される賀詞交換会での一コマ。 トップスピードで、コートを駆け抜けたミスターバスケットボールが、チームカラーのオレンジのネクタイを身に纏い、 カラダを縮めるように、地元経済界の要人と名刺を交換して支援を要請する姿は、違和感だけではない、 佐古HCの覚悟を感じさせるものでした。

カープの街にオレンジムーブメントを。

『広島に、バスケでつながる風景を』 このチームスローガンのもと、チームは“野球とサッカーの分厚い壁”へと挑みました。

自身のスペシャリティとは対極の泥臭く、喰らいつくバスケットを徹底して叩き込んでいきます。またチーム編成でも手腕を大いに発揮し、 優勝請負人として、アイシン時代のチームメイト・朝山正吾をスカウト。朝山は、SG(スウィングガード)SF(スモールフォワード)という攻守それぞれのキープレーヤーとしてだけでなく、コート脇の佐古の胸の内を、瞬時にフィールドへ以心伝心するベテランならでは重責を全うしました。

そこに若手と外国人選手による切磋琢磨がさらなる化学反応を起こした結果、チーム創設初年度にして、2015年の全日本総合バスケットボール選手権にて、下馬評を覆して準優勝の座に輝いたのです。広島の地に、オレンジ色が、確実に躍動を始めていました。

JAPANの佐古よりも、広島とともに

時は流れ、2016-17 B.LEAGUEが華々しく開幕。そしてクラブ創設3年目を迎えたドラゴンフライズ。 中央から離れ、広島での挑戦をスタートさせた佐古HCにとっても、手ごたえを感じるゲームが続きました。

所属する西地区にて、B1入替戦の権利が手にできる2位圏内をキープ。そして今年3月1日、球団は B1昇格に必要なライセンスが交付されたことを発表します。選手育成や球団環境などが、プロ球団として適切であるという“お墨付き”で、18年6月期までの債務超過解消の目途が立ったことなどが評価されてのものでした。

カープに染まる街での、予想以上だった数々のビハインド。 スーツと名刺交換、スポンサー営業に至るまで、泥臭く喰らいつき、あきらめなかったのは、 JAPANブランドの『ミスターバスケットボール』ではなく、まさに佐古HCが“広島に賭した”からでした。

この頃には、地元メディアも“佐古ドラゴンフライズ”を多数フューチャーし、テレビ局がバックアップする 『佐古賢一×広島カープ・菊池涼介選手ジョイントデー』などで、観客動員と注目度もうなぎ登り。その勢いで 全60試合を戦うレギュラーシーズン西地区2位、入替戦進出をかけたワイルドカード争いで、最後のひと枠を 獲得。悲願のB1昇格までマジック1・あと1勝という舞台、横浜ビー・コルセアーズとの一戦を迎えるのです。

敗戦、そしてピリオド

2017年5月28日。

運命の一戦は、東京・国立代々木競技場第一体育館で午後2時5分TIP OFF。

2Q終了時で、4点差にまで詰め寄ったものの、3Q・4Qでは、地元ブースターの声援を背に、横浜が残留への 意地をみせてゲームを終始支配。54対73のスコアで広島は涙をのみ、B1昇格は来シーズンへと持ち越しされ、 佐古体制の3シーズン目は、幕を閉じました。

入替戦から興奮冷めやらぬ3日後の5月31日。 佐古賢一HC退団の一報が球団からリリースされました。 『結果を出せなかった自分の責任です』 佐古HCはB1昇格を逃した責任を自らに帰し、感謝のメッセージを綴っています。

昨年、佐古体制の2シーズン目が終了した際、その総括の場で、 『佐古賢一という人材が2部にいることは、バスケ界にも、私にも辛いこと』と語った西明生GM。

しかし勝負の世界の掟を知る佐古HCだからこその、区切りのつけ方なのでしょう。 『あらゆるものを犠牲にしてきた3年間に悔いはない』との思いと、それゆえの、その先へのB1への思い。 先につなげる大前提だった中での、察するに余りある、ひとつのピリオドでした。

オレンジ色の『ミスターバスケットボール』永遠に

数えきれないワラジでなく、HCというバスケットシューズだけを、 プロ野球やJリーグのように、履くことができる環境があったならば。

カープの街でさなぎから姿を変え、日を追って鮮やかさを増し続けた、オレンジ色の蝶の舞。 宿るための花を探すことから始めなければならなかったとするならば、B1昇格に一歩届かなかった この現実までに要した道のりと月日は、佐古HCだからこそたどり着けたステージで、 その最短の歳月こそが3年だったのかもしれません。

一部のファンからは、バスケットでは異例の佐古HC復帰の嘆願署名活動が始まっているようです。 広島を愛した佐古HC、それを愛し続ける地元市民の思い。佐古HCの決断に対しての尊重はもちろんながら、 それはいみじくもチームスローガン『広島から、バスケでつながる風景』をまさに体現しているかのようです。

広島の地で、ゼロからオレンジムーメントを巻き起こした、佐古賢一。 これからどこに導かれ、どんな舞台で、そのプロフェッショナルで魅せてくれるのか。

『ミスターバスケットボール』永遠に~

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